名前: 大豊泰昭(たいほう・やすあき)/陳大豊(Chen Tai-Feng)
生年月日: 1963年(昭和38年)11月15日
血液型: A型
星座: さそり座
身長: 185cm
体重: 110kg
投/打: 左投げ左打ち
出身: 台湾南投県埔里
趣味: 釣り、ゴルフ、中国史の勉強。

私は野球を始めた幼少期から、いかにボールを遠くに飛ばせるか、いかに自分の持つパワーを100%ボールに伝えられるか、いかにホームランが打てるかを考え、そして体を鍛え上げ、日本のプロ野球で活躍することが出来ました。
バッターとしての私の考えは、いかに広角打法ができるか?

もちろん打ち方も、使い方も、心の構えも、頭の考え方も、いろんな部分が一致して、はじめて成長するのです。しかし、成長期つまり基本の正しい知識が乏しい時に、いかに認知できるか?認知できれば情熱心、研究心、考える能力も増大し、これが成長のために一番大切な要素だと思います。技術は一言では語りきれないですが、何事も経験と体験です。

小さい頃からそれを聞き実行し数をこなせば、体の成長と共に必ず上達すると思います。野球は失敗のスポーツです。良い打球でアウトになっても次に期待する。期待の持てない失敗では、心の不安がよぎって長期維持、レギュラーの可能性も減少してしまう。そうすると、情熱も忍耐力も楽しさもだんだん無くなってしまい、最後は”やめた”となってしまいます。

さあ、頑張ろう!!大きい夢のために・・・。

野球人 大豊 泰昭

東峰中では台湾大会で優勝し、華興高では世界大会で優勝。
王貞治に憧れて日本行きを希望するが、20歳にならないと出国できないため、卒業後に2年間母校でコーチを務めた。

1984年に名古屋商科大学に入学。愛知大学野球リーグ記録となる通算24本塁打を記録し、全日本代表にも2回選出された。卒業後は、日本人選手扱いとして入団するため中日ドラゴンズの球団職員として1年間在籍。

<現役時代>
1988年のドラフト2位で中日に入団。王の持つ日本プロ野球シーズン最多本塁打記録55本を目標として背番号を55とした。
プロ1年目の1989年は一軍と二軍を行き来しながらも14本塁打を記録。2年目の1990年は20本塁打を放った。1992年の秋季キャンプで臨時コーチの張本勲に勧められ、一本足打法を始める。1993年には25本塁打を放つと、1994年には38本塁打、107打点で本塁打王と打点王の二冠を獲得。また、同年は対広島東洋カープ戦で18本塁打を記録し、年間カード別最多本塁打の日本記録を樹立。1996年は開幕から驚異的なペースで本塁打を量産し続けたが、最終的に38本塁打に終わり、チームメイトの山崎武司に1本及ばず本塁打王を逃した。

1997年、本拠地がナゴヤ球場からナゴヤドームに移ったこともあり、12本塁打に終わる。星野仙一監督が広いナゴヤドームに対応して機動力重視の野球を目指したことから、1998年に矢野輝弘とともに関川浩一・久慈照嘉とのトレードで阪神タイガースに移籍。1999年には規定打席不足ながら26試合連続安打を放つなど、打率.341、18本塁打の活躍。2000年にも23本塁打を記録したが、同年オフの契約更改で自ら自由契約を申し入れて阪神を退団。

2001年に中日に復帰したが、背番号55は既に紀藤真琴投手が着けていたため、背番号60に変更。同年には台湾代表としてIBAFワールドカップに出場した。2002年、開幕一軍スタートだったが出場は27試合にとどまった。オフに戦力外通告を受けて現役続行を希望したが、獲得球団はなく現役を引退。2003年3月23日、ナゴヤドームでの横浜ベイスターズとのオープン戦で引退セレモニーが行われた。

<引退後>
中日球団のアジア地区担当スカウト兼少年野球指導担当を経て、2004年10月、名古屋市中区に中華料理店「大豊飯店」を開業。店の経営のかたわら、中部放送、CBCテレビにゲスト出演するなどのほか、東海地方を中心に各地へ野球教室や講演活動を行っている。
中日球団のアジア地区担当スカウトとして、台湾からチェン・ウェイン(陳偉殷)を2004年に中日入団に導いた。現在の肩書きは「中日球団台湾地域情報提供員」。
プロ野球マスターズリーグの名古屋80D'sersに、2005-2006と2006-2007の 2シーズン参加した。

2009 年3月、急性骨髄性白血病を患い入院。闘病生活の末、同年8月に退院した。

<エピソード>
プロ入り前に、「ごめんなさい」と「ごめんください」を間違えてパニック。

名商大時代、練習中にボールを拾って同級生に渡したら、「わるいね(=ありがとう)」の意味が分からず、同級生に怒ってしまった事がある。

中日時代、散髪して鈴木孝政先輩に言われて、「おー大豊、心機一転したな」と声をかけられ、「はい、転機一心です」と答えてしまった。
また、「皆さんのお陰です」を「皆さんのどうかげです」と答えてしまった。

1996年の「ハードープレーハード」のチームフレンズを「ハードスプレーハード」と言い間違えて、大笑いをさそった。

引退した時にインタビューをされて、「サバサバ」を「バサバサ」と言ってしまった。

私大豊はスイカが大好きで、試合中に当時の元木大介選手、清原和博選手、野村謙次郎選手などが1塁に来るたびに、「大豊さんスイカ食べてますか?」と声をかけられた。

1994年豊田球場にて、中日VSオリックスのオープン戦試合中、イチローから「大豊さん、今年は本塁打王をとってくださいね」と声をかけられ「イチローも首位打者をとってね」と約束した。
なお、試合中にも関わらず、連絡先を交換したといった面白いエピソードがある。

年度 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 四球 死球 三振 打率 長打率
1989 101 309 37 72 18 0 14 132 36 2 36 3 86 .233 .427
1990 105 259 34 71 13 0 20 144 48 2 23 1 63 .274 .556
1991 121 396 50 112 23 1 26 215 72 2 53 7 84 .283 .543
1992 81 251 24 67 18 1 11 120 39 0 27 2 52 .267 .478
1993 117 367 53 95 14 0 25 184 59 0 66 3 117 .259 .501
1994 130 477 83 148 24 2 38 290 107 1 71 3 97 .310 .608
1995 106 389 49 95 14 1 24 183 65 1 51 3 81 .244 .470
1996 129 462 69 136 19 1 38 271 89 3 68 1 106 .294 .587
1997 95 296 33 71 12 0 12 119 35 0 38 3 78 .240 .402
1998 99 307 41 71 17 0 21 151 61 0 34 2 94 .231 .492
1999 78 164 20 56 13 0 18 123 39 0 16 1 56 .341 .750
2000 97 303 38 73 9 2 23 155 54 4 26 5 93 .241 .512
2001 38 70 6 12 4 0 3 25 7 0 6 0 34 .171 .357
2002 27 47 7 10 2 0 4 24 11 0 7 0 16 .213 .511
通算 1324 4097 544 1089 204 8 277 2136 722 15 522 34 1057 .266 .521
  • は中日ドラゴンズ は阪神タイガース 赤太字はシーズンリーグトップ
  • ■タイトル:94年=本塁打王(38本)、打点王(107打点)、ベストナイン(一塁手)。
  • ■月間MVP:94年=6月、9月、96年=5月。
  • ■オールスター出場:91年、94年、96年。
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